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福岡地方裁判所 平成6年(行ウ)3号 判決

原告

井上龍一郎

右訴訟代理人弁護士

美奈川成章

大谷辰雄

上野雅生

小野裕樹

山崎吉男

山本晴太

橋山吉統

被告

福岡市教育委員会

右代表者教育委員長

小屋修一

右訴訟代理人弁護士

辻井治

右指定代理人

桑田哲志

外二名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告が昭和六三年六月二七日付で原告に対してなした戒告処分を取り消す。

第二  事案の概要

本件は、昭和六二年四月から福岡市立長尾小学校(以下「長尾小学校」という。)に教諭として勤務していた原告が、同六三年三月一九日に行われた同小学校の卒業式(以下「本件卒業式」という。)において「事前に決められた式次第に従って進行中の国歌斉唱時に担任の児童の国歌斉唱拒否の発言及び着席に呼応するかのように着席し、また卒業証書授与の際の児童の不適切な発言等もあり、卒業式が正常な進行とはいえないなか、退場の際右手こぶしを振り上げるという参列者に多大の不信を招くような卒業式にふさわしくない不適切な行為を行った」として、同年六月二七日、同日付けの辞令をもって被告から地方公務員法二九条一項により戒告する旨の懲戒処分を受けたが、右処分は事実誤認に基づく違法なものである等として、右処分の取消しを求めている事案である。

一  争いのない事実

1  原告は、昭和五五年四月一日に福岡市に小学校教諭として採用され、同六二年四月から長尾小学校に教諭として勤務していた者であり、被告は、地方教育行政の組織及び運営に関する法律により福岡市の教育に関する事務を行う者である。

2  昭和六二年度の三学期に、卒業に向けて六年の旗を作るため、長尾小学校六年生の四クラスから各二名ずつ計八名の児童により構成される製作実行委員会(以下「実行委員会」という。)が設けられ、ピカソのゲルニカの絵を模写することを決定し、これを完成させた(以下「ゲルニカの旗」という。)。

ゲルニカの旗の取扱いに関し、実行委員会作成のプリント「製作ニュース」には卒業式場の最も素敵な場所に貼って欲しいとの希望が示され、同年三月一七日に行われた本件卒業式の総合練習においても、多数の児童が卒業式にゲルニカの旗を掲げてほしい旨の希望を述べた。

3  本件卒業式は昭和六三年三月一九日午前一〇時から始まったが、日の丸の旗はステージ正面に掲げられ、ゲルニカの旗はパネルに貼られた状態で卒業生席背面に掲げられていた。本件卒業式においては、六年生が入場後、司会の教諭が「一同起立」「礼」「開式のことば」と告げ、続いて教頭が「ただいまから昭和六二年度福岡市立長尾小学校第八三回卒業証書授与式をはじめます。」「国歌斉唱」と告げたあと、テープによる君が代の前奏が始まった。

この前奏の間に原告の担任する六年三組の女子児童A子(以下「A子」という。)が「歌えません。」と叫び、君が代が「千代に 八千代に さざれ」と進んだときに、A子は再び「歌えません。」と叫んだ。

原告はA子の一度目の発言の後、自席に腰を下ろす行為をしたが、二度目の発言の後には六年三組のところへ歩いて行き、しばらくして自席に戻った。

卒業証書授与の際の決意表明において、A子が「私はゲルニカをステージに張ってくれなかったことについて深く怒り、そして侮辱を感じています。校長先生は私達に対して、私達を大切に思っていなかったようです。ゲルニカには平和への願いや私達の人生への希望をも託していたというのに、張ってくださいませんでした。」と述べたところ、卒業式場は騒がしくなったので、栁校長が「静粛に」と言い、原告が「子どもの発言は最後までお願いします。」とA子の発言を続けさせたところ、A子は「私は怒りや屈辱をもって卒業します。私は絶対校長先生のような人間にはなりたくないと思います。」と述べて発言を終えた。

原告は卒業式が終わり、退場の際、右手を上げる行為をした。

4  被告は「本件卒業式で事前に決められた式次第に従って進行中の国歌斉唱時に担任の児童の国歌斉唱拒否の発言及び着席に呼応するかのように着席し、また卒業証書授与の際の児童の不適切な発言等もあり、卒業式が正常な進行とはいえないなか、退場の際右手こぶしを振り上げるという参列者に多大の不信を招くような卒業式にふさわしくない不適切な行為を行った。このことは、児童生徒の人格の完成をめざして指導すべき責務を負う教育公務員としてふさわしくない行為であり、地方公務員法第二九条第一項の懲戒事由に該当する。」として、原告に対し、昭和六三年六月二七日付で戒告処分を行った(以下「本件処分」という。)。

5  原告は、福岡市人事委員会(以下「人事委員会」という。)に対し、昭和六三年八月二二日、本件処分の取消しを求めて不服申立てを行ったが、人事委員会は、平成五年一二月九日、本件処分を承認するとの判定を行った。

二  争点及びこれに対する当事者の主張

1  本件処分が事実誤認に基づくものであるか否か。

(一) 本件卒業式の式次第が事前に決められていたか否か

(被告)

校長は学校の仕事全体を掌握し処理する権限を有しているのであるから、卒業式の式次第の決定を行うのは校長の権限である。本件卒業式についても、研修部会及びこれに続く計一〇回の職員会議を経て、国歌斉唱を含む式次第を校長として決定し、原告を含む教諭らに対し周知したもので、実際に本件卒業式は校長の決定した式次第に従って行われた。

(原告)

被告の右主張を争う。本件卒業式について、国歌斉唱を含む式次第が事前に決められた事実はない。

(二) 本件卒業式の君が代斉唱時における原告の着席が担任の児童の君が代斉唱拒否の発言及び着席に呼応するかのようになされたか否か

(被告)

原告は、本件卒業式前年の筥松小学校の卒業式でも校長に抗議して着席しているが、本件卒業式での国旗掲示、国歌斉唱についても強くこれを否定し、職員会議においても強硬かつ執拗に反対していたものであり、本件卒業式国歌斉唱中の二度目のA子の声の後、立ち上がって卒業生のところへ行き、自席に戻った後、他の教諭が立っているなか、再度着席しているものである。本件卒業式のための総合練習において、多数の児童がゲルニカの旗を張ってほしい旨の発言をしたことや、パネル作成時などの児童の様子及び卒業式に至る原告の国歌斉唱反対の態度、校長に対する言動などを考えると、原告の着席は担任の児童であるA子の国歌斉唱拒否の発言及び着席に呼応するかのようになされたと考えるべきである。

(原告)

原告は、本件卒業式でステージ上にゲルニカの旗を掲げられなかったことについて、自らの担任する児童を含む卒業生らが怒っているとは感じていたが、A子の君が代斉唱拒否の発言及び多数の卒業生の着席によって、それが自分の思いよりもずっと大きな怒りであったことに驚き、自らがその怒りを受け止めきれていなかったこと等から動揺し、呆然となって腰を下ろしたのである。

(三) 本件卒業式の式場から原告が退場する際に右手こぶしを振り上げたか否か

(被告)

本件卒業式に関しては長時間にわたり、校長と原告ら教諭の間で国旗、国歌及びゲルニカの旗の取扱いに関し、激しくやり取りされた経緯があり、卒業式の国歌斉唱時における卒業生や原告の着席、決意表明時におけるA子の校長非難の発言と原告の発言を経たながれの中では、退場時の原告のこぶしを振り上げる身体的動作は、自己の抗議又は勝利の意思を、並み居る保護者、生徒、教職員及び来賓に対して強く顕示したものとしか解しようがない。

(原告)

原告は卒業式場から退場する際、中学校に進学する卒業生たちを激励する気持ちをこめて静かに右手を上げたのであって、「右手こぶしを振り上げ」たものではない。原告が右手を上げたのは決意表明時のA子の発言から二時間近く平穏に卒業式が進行した後のことであり、抗議や勝利の意思を表明したものではない。

(四) 児童の発言が不適切なものであったか否か

(原告)

A子は、自分たちの卒業式において、卒業していく仲間と一所懸命に描いたゲルニカの旗を、式場の正面に張ってもらいたいというささやかな希望、願いすら踏みにじられたことに失望し、怒り、君が代の斉唱を拒否する発言をし、また、決意表明の際、ゲルニカを式場正面に張ってもらえなかったことに対する思い、怒りを率直に表明したものであり、一人の卒業生の当然の意見表明であって、決して非難されるべきものではない。

被告は右A子の発言を誤って評価してこれを「不適切な発言」と断罪したうえで、右A子の言動との関連において原告の行為を認定、評価し、本件戒告処分をなしたものである。

(被告)

本件処分理由の中で、卒業式のA子の決意表明での発言を不適切と表現したのは、式の進行が正常でなかったことを示すために述べたのであるが、この決意表明は、本来卒業生が六年間の学校生活を終え、その後に対する希望や思いを、教職員、保護者、来賓に伝えるために設けられていたものであって、A子の発言は、この趣旨に沿うものとはいえず、卒業式という儀式の場にふさわしくないといわざるを得ない。

2  本件処分が公正さを欠く違法なものであるか否か

(原告)

被告は、本件処分当日までに、校長からの事情聴取と原告からの二回の事情聴取のみしか行わず、他の職員、父母及び児童らからは一切の事情聴取もせず、PTA会長等一部の人達により被告に伝えられた偏見によってねじ曲げられた情報に基づき、昭和六三年六月二〇日、福岡市議会における高山博光議員の一般質問等の政治的圧力の下に、不当に本件処分を決定したものである。

よって、本件処分は公正さを欠き、地方公務員法(以下「地公法」という。)二七条一項に反する違法なものである。

(被告)

原告の右主張を争う。

第三  争点に対する判断

一  本件卒業式に至る経過

1  長尾小学校に赴任するまでの原告の経歴等

証拠(乙一四、原告本人)によれば、以下の各事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

原告は、昭和五五年四月一日に小学校教諭として採用され、筥松小学校に赴任した。

筥松小学校では、昭和六一年度中に、児童会の係の教員によって全学年三六クラスの児童が分担してちぎり絵を制作することが提案された。右ちぎり絵を完成させた児童はこれを卒業式場に張って欲しいとの希望を出し、職員会議で右希望について協議されたが、日の丸掲揚、君が代斉唱を主張する校長と意見が合わなかった。その後、卒業式についての職員会議は何度か行われたが、原告は最終的に式場のステージに右ちぎり絵を張ることで合意が得られたと認識していた。

しかし、同小学校における同年度の卒業式当日、式場のステージには、右ちぎり絵の代わりに日の丸の旗が張られており、当時一年生の担任としてちぎり絵の制作に関わった原告は、児童の制作したちぎり絵が式場に張られていないこと及び君が代を無理やり歌わされることに納得できなかったため、校長に抗議ないし抵抗する趣旨で君が代斉唱時に着席した。

2  長尾小学校赴任後の原告の活動等

(一) 六年三組の一学期

前記争いのない事実及び証拠(甲一八、二一の1、三一、証人浦塚律子、原告本人)によれば、以下の各事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

原告は、昭和六二年四月に長尾小学校に赴任し、同小学校六年三組(以下、単に「三組」という。)の担任となった。

前年度から三組にはいじめの問題があり、クラスとしてのまとまりに欠けていたため、原告は「元気です」と題する三組の学級通信を発行して保護者の理解を得ながら、児童とともに毎日早朝からサッカーやドッヂボールをするなどして児童との信頼関係構築に努めた。

(二) 六年三組の二学期

証拠(甲一八、二二の1ないし4、二三ないし二五、三一、乙一一の4、証人A子、同浦塚律子、原告本人)によれば、以下の各事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

三組では夏休みにも保護者を含めてハイキングに行くなどの活動をしたが、二学期を迎えると六年生全体が休み明けの浮ついた雰囲気に包まれていたため、原告はクラスの和を作り上げるためにクラスの旗の制作を児童に提案した。

三組の児童は、動画「風の谷のナウシカ」の主人公である少女「ナウシカ」を旗に描くことを決め、約一か月間をかけてクラスの旗(以下「ナウシカの旗」という。)を完成させた。三組がナウシカの旗を制作しているのを見た他のクラスでもクラスの旗が制作され、一〇月の体育会には六年生の各クラスがそれぞれのクラスの旗を発表した。

また、原告は、一一月七日の学級懇談会で人権学習への保護者の参加を提案し、三組の保護者たちは「牛のかたきうち」と題する紙芝居を作って一二月八日の人権学習でこれを児童に披露した。

(三) 冬休み以降

証拠(甲一八、三一、証人浦塚律子、原告本人)によれば、以下の各事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

冬休みに入った一二月二四日、三組の児童一名を含む三名の六年生が家出をするという事態が発生し、六年生の担任の教員らは卒業に向けた教育計画を再検討する必要を感じた。

昭和六三年一月二二日、六年生各クラスの担任教師、保護者並びに栁校長及び武久晋吾教務(以下「武久教務」という。)が出席して合同の懇談会が行われ、六年生三学期の取り組みとして、なわとび集会、持久走大会、卒業制作、卒業文集作り、お別れ茶話会、スポーツ集会等の計画が発表されたが、その中に六年の旗作りの計画があった。

(四) ゲルニカの旗の制作

前記争いのない事実及び証拠(甲七ないし九、一一、一二、一三の1、2、一四、一五、一八、二一の17、18、三一、乙六の1ないし3、一一の4、検証、証人A子、同井原剛、同浦塚律子、原告本人)によれば、以下の各事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(1) 六年の旗作りの計画は、ナウシカの旗等クラスの旗の制作を通じて各クラスの団結が高まったことから、廃棄されていた映写幕を利用して六年生の共同制作を行い、学年単位で制作の楽しさや完成の喜びを分かち合うことを目的として立てられたが、右計画のために六年生各クラスから男女一名ずつ合計八名の実行委員が選ばれて実行委員会が組織され、六年生クラス担任である原告及び鈴木美恵教諭の二名が指導に当たった。

(2) 実行委員会では旗として描く題材の選定に苦慮していたが、指導を担当していた原告から、模写を前提として青木繁の「海の幸」、坂本繁二郎の「馬」及びピカソの「ゲルニカ」の三つが提案され、実行委員会では右のうちピカソの「ゲルニカ」を題材とすることを決定した。

六年の旗は実行委員会の立てた予定にしたがって制作され、昭和六三年三月五日、縦二三七センチメートル、横五六六センチメートルのゲルニカの旗が完成した。

(3) 実行委員会は、右完成に至るまでの間、同年二月一日に「『6年の旗』製作宣言」、同月二〇日に「製作ニュース」、同年三月のゲルニカの旗完成後に「製作ニュースNO2」を発行し、後二者においては「私達は、『ゲルニカ』のある卒業式を望み、強く願っています。」、「感動の『ゲルニカ』を卒業式の場で先生達と卒業生一同でむかえたいと願っています。」、「私達実行委員をはじめ、その他の6年生は、このすばらしい、『ゲルニカ』を、私達の卒業式に披露したいと思い、披露してほしいと強く願っています。これも6年生全生徒の心からの願いなのです。」「卒業式会場の最も素敵な場所には、私達の『6年の旗』を、是非はらせていただきたいと心から願っています。」との意見が述べられている。

3  本件卒業式に関する協議の経過

証拠(甲五、一六、一九、二六ないし二八、三一、乙五、七の1ないし3、一一の4、7、8、一四、証人川野泰子、原告本人)によれば、以下の各事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(一) 長尾小学校では、校務分掌上、各学年の担任から一名ずつ及び専科一名計七名の教師によって構成される研修部において、卒業式の原案を作成することとなっていた。

(二) 昭和六三年二月一七日には、原告を含む研修部構成員が出席して研修部会が開催され、佐藤洋一教頭(以下「佐藤教頭」という。)が右部会に同席した。既に六年生の担任四名によって、「翔び立とう」と題する卒業式の台本(以下「本件台本」という。)が作成されており、研修部会では本件台本を基に卒業式の原案が検討され、式次第を

「(1)はじめのことば

(2)卒業証書授与

(3)お祝いのことば

(4)卒業生、在校生のことば

(5)終わりのことば」

とし、式場については、フロア中央に設置されたステージを卒業生、在校生、来賓、保護者並びに職員が囲むように位置し、会場奥のステージ上にゲルニカの旗や校旗等を配置するという研修部会としての「卒業式(案)」(甲一九。以下「研修部会案」という。式場の配置については別紙1参照。)をまとめた。

他方、研修部会においては、同席した佐藤教頭が①卒業証書はステージで渡す、②国旗をステージ正面にはる、③国歌斉唱を式次第に入れるとの栁校長からの指示を伝えたが、研修部会案に変更は加えられなかった。

(三) 同月一九日には、学年担任が集まって教材研究をしたり、行事の打ち合わせを行ったりする学年研修が開かれ、これを早めに切り上げて、研修部構成員から右学年研修参加者に対して研修部会案の説明がなされたが、栁校長、佐藤教頭及び武久教務は、右学年研修後の説明の場には同席していなかった。

(四) 同月二三日には卒業式についての職員会議が開かれ、研修部会案が提示されたほか、式次第を

「(1)一同礼

(2)開式のことば

(3)国歌斉唱

(4)卒業証書授与

(5)学校長の話

(6)教育委員会のことば

(7)来賓のお祝いのことば・記念品の授与

(8)祝電披露

(9)わかれのことば

(10)校歌斉唱

(11)閉式のことば

(12)一同礼」

とし、式場については、会場奥のステージに向かって正対する形で卒業生、在校生並びに保護者の席が、左右に来賓と職員の席が設けられるほか、ステージ上には国旗、校旗等を配置するという栁校長の案(乙七の1。以下「校長案」という。式場の配置については別紙2参照。)が提示された。

(五) その後の同年三月一日、二日、八日、一〇日及び一一日にそれぞれ職員会議が開かれて卒業式のねらいや式次第について議論が行われ、一四日の職員会議では、職員の一部からフロア方式だけは認めて欲しい旨の意見が出たが、摺り合わせができないままに終わった。一六日の職員会議では、栁校長から、卒業証書授与はステージ上で行うが、会場奥のステージに国旗とゲルニカの旗を掲げた上「卒業おめでとう」の文字を配し、フロアの在校生・卒業生は対面して着席させる、との変更を施した修正案(乙七の2。以下「修正校長案」という。式場の配置については別紙3参照。)が提示されたものの、職員から、日の丸の下にゲルニカの旗を貼った上、卒業証書授与をステージ上で行うとすれば、ゲルニカの旗が演台に隠れて見えないとの反対があり、調整はつかなかった。

(六) 右のとおり職員会議で卒業式について協議されていた期間中、一一日には六年生と教諭らとのお別れ茶話会(以下「茶話会」という。)、一二日には六年生を送る会(以下「送る会」という。)がそれぞれ行われ、右各日時においてゲルニカの旗は体育館のステージ正面に掲示されていた。

(七) 一六日の職員会議の終了後、佐藤教頭がゲルニカの旗を掲げる位置について原告に相談し、会場である体育館において二人で検討したが、佐藤教頭が会場側面の窓の部分に掲示することを提案したのに対して、原告が窓からの光でゲルニカの旗が透けて見えてしまうので無理である旨述べたため、佐藤教頭は光を遮るためのベニヤ板のパネルを作成することとし、原告はパネルの概略を示した設計図を佐藤教頭に手渡した。

4  本件卒業式の総合練習、式場設営及びその後の職員会議の内容

証拠(甲一八、一九、二七、三一、乙一一の4、5、7、証人A子、、同井原剛、同浦塚律子、原告本人)によれば、以下の各事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

(一) 昭和六三年三月一七日には、卒業生及びその担任教師の外、栁校長、佐藤教頭、武久教務及び卒業生クラス委員の保護者数名が参加して、本件卒業式の総合練習が行われたが、右総合練習は研修部会案に従って、卒業生と在校生が対面して着席し、フロアで卒業証書を授与する形式で行われ、本件台本に沿って進行した。式場である体育館では茶話会及び送る会のときと同様、ゲルニカの旗がステージ上に掲げられたままの状態になっていた。

卒業証書授与の練習は佐藤教頭によって行われたが、研修部会案では卒業証書授与の後、各卒業生が将来に向けて決意を表明する機会が設けられており、多数の児童が右決意表明の練習の機会を借りて、ゲルニカの旗をステージ上に掲げてもらいたい旨の意見を述べた。

(二) 同日、総合練習終了後に行われた職員会議では、栁校長から修正校長案に、卒業証書授与はフロアで行い、ゲルニカの旗は卒業生席背面に掲げるとの更なる変更を加えた案を提示したが、ゲルニカの旗をステージ正面に掲げないとする点について、六年生の担任を中心とする職員から、子どもたちに説明できない、卒業式が混乱するなどの意見とともに反対があり、職員会議での合意は得られなかった。

同日夜にはゲルニカの旗を貼るベニヤ板のパネルができあがり、翌一八日、六年生の修業式が行われた後に、六年生の担任教師四名及び実行委員会の構成員を中心とした二〇名程度の六年生によって、ゲルニカの旗がパネルに貼られた。その後児童が下校してから本件卒業式々場の準備が行われたが、ゲルニカの旗を貼ったパネルは、午後二時ころ、佐藤教頭、武久教務及び若干名の保護者らによって卒業生席背面上部の窓付近に掲示された。

(三) 一八日午後五時三〇分ころから行われた職員会議は、職員から栁校長に対し、ゲルニカの旗を貼ったパネルを卒業生席背面の窓に掲げたことについての非難に終始し、他に卒業式に関する新たな合意はなされなかった。

栁校長が帰った後、原告を含む福岡県教職員組合(以下「組合」という)の組合員たる教師達は分会会議を開き、同校長の様子から式次第に君が代斉唱が入ってくることを予想し、対応について協議した結果、君が代斉唱時に抗議して着席するなどの実力行使はしないとの結論に至った。

二  本件卒業式当日の状況

前記争いのない事実及び証拠(甲一〇、一六、一八ないし二〇、二七、二九、三一、乙三、四の1ないし3、七の3、一一の4、5、7、9、10、検証、証人A子、同井原剛、同浦塚律子、同川野泰子、原告本人)によれば、以下の各事実が認められる。

1  組合執行委員らと原告の面談

原告は、本件卒業式の当日である昭和六三年三月一九日午前八時二〇分ころ、長尾小学校に登校したが、校舎入口付近で組合の福岡支部の執行委員及び同支部の元執行委員(以下、右二名を指して「執行委員ら」という。)から話があると呼び止められ、校長室において三者で面談した。

執行委員らは、当日の朝刊において、当時の被告に勤務する指導主事が息子の通う小学校の校長に対して卒業式における日の丸掲揚及び君が代斉唱を要望し、これが実現しなかった場合に息子を卒業式に出席させないと伝えていたことが、一八日の福岡市議会で明らかになったと報道されている旨を知らせ、組合としては右指導主事の行動を問題として取り上げ、追求する方針であり、卒業式での混乱は右追求の妨げになるおそれがあるので、君が代や日の丸についての抗議行動や実力行使は行わず、君が代斉唱時も起立していてもらいたいと伝えた。

2  本件卒業式の式場及び式次第について

昭和六三年三月一九日に行われた本件卒業式の式場の配置は、ステージ奥に配置されていたゲルニカの旗が向かって右側の卒業生席背面上部の窓に移されたほかは総合練習時と同様であった(乙七の3、原告本人。式場の配置については別紙4参照。)。

本件卒業式当日に式場奥のステージ左横に掲示された本件卒業式の式次第は

「一 開式のことば

一  国歌斉唱

一  卒業証書授与

一  お祝いのことば

・学校長のことば

・教育委員会のことば

・父兄教師会会長のことば

・祝電のお知らせ

一  卒業生・在校生のことば

一  校歌斉唱

一  閉式のことば

・保護者代表のあいさつ」

となっており(乙四の1)、当日配布された本件卒業式のパンフレット表紙には

「1 開式のことば

2 国歌斉唱

3 卒業証書授与

4 学校長のことば

5 教育委員会のことば

6 来賓のお祝いのことば

7 祝電披露

8 卒業生、在校生のことば

9 校歌斉唱

10 閉式のことば

○卒業生保護者代表のあいさつ」

との式次第が記載されているところ(甲二〇)、右両式次第はその表現に一部違いが存するものの、同一のものと捉えることができる(以下、右両式次第を指して「本件式次第」という。)。

他方、本件台本には歌や台詞が多く含まれているが、これを式次第として表せば、国歌斉唱が除かれている点及び保護者代表のあいさつ又は卒業生保護者代表のあいさつが閉式のことばの前に位置する点以外においては、本件式次第の内容と一致するものであると認められる。

3 君が代斉唱時の様子等

本件卒業式は、在校生のリコーダーに合わせて卒業生が入場するところから始まり、本件台本に沿って進行しながら「どこかで春が」が歌われた。

司会の玉乃井喜久子教諭(以下「玉乃井教諭」という。)の進行のもと一同が起立・礼をし、佐藤教頭が「ただいまから、昭和六二年度福岡市立長尾小学校第八三回卒業証書授与式をはじめます。」と開式のことばを述べた後、同教頭の「国歌斉唱」との発言の後、君が代の前奏が流れた。

A子は右佐藤教頭の発言とともに着席し、君が代の前奏が始まった直後に「歌えません。」と叫んだ。右A子の声と前後して多数の卒業生が着席したが、原告も右A子の声の後に自席において着席した(以下、右原告の着席を指して「本件着席」という。)。歌が「ちよに やちよに さざれ」と進行したときに、A子は再び「歌えません。」と叫び、更に若干の卒業生が着席した。着席した卒業生は複数のクラスに及び、その数は数十名以上にのぼった。

A子の二回目の「歌えません。」との発言の後、卒業生の中には起立している者と着席している者がいる状態となり、落ち着きが無くなったため、原告は立ち上がって六年二組の席と三組の席との間の通路付近へ行き、卒業生らに落ち着くよう指示し、自席へ戻った。原告が戻ったときには君が代は終了しており、玉乃井教諭が「着席。」と発言して全員が着席した。その後、同教諭が「校長先生から卒業証書をいただきましょう。」と述べ、卒業証書の授与が行われた。

4 A子の決意表明等

本件卒業式においても、研修部会案及び総合練習のとおり、卒業証書が授与される際、各卒業生には将来の決意を表明する機会が与えられており、各卒業生が順次卒業証書を授与され、決意表明を行っていった。

三組のA子は卒業証書を授与された後、決意表明を行ったが、A子が「私は、ゲルニカをステージに張ってくれなかったことについて、深く怒り、そして侮辱を感じています。校長先生は、私達に対して、私達を大切には思っていなかったようです。ゲルニカには、平和への願いや私達の人生への希望をも託していたというのに、張ってくださいませんでした。」と述べたところで、来賓から「なんごと言うかね、一体」との発言があった。

これに対して保護者が「やめてください!そんなこと言うのは!」と叫んだが、更に来賓から「帰んなさい!」との発言がなされ、栁校長による「静粛に。」との制止の後、保護者から「聞いてください!子どもの言ってるんですから!」との発言があり、式場内がざわめいた。

ざわめきの中で、原告が「子どもの発言は最後までお願いします。」と述べると、A子は「私は、怒りや屈辱をもって卒業します。私は、絶対校長先生のような人間にはなりたくないと思います。」と述べて決意表明を終えた。

右A子の決意表明に対しては、拍手とともに来賓からの「とぼくるな!」などの野次があったが、原告が「静かにお願いいたします。」と制止し、次の卒業生の卒業証書授与へと進行した。

5 その後の進行及び原告の退場の際の様子

卒業生全員の卒業証書授与及び決意表明が終了した後、本件台本の「よろこびとお祝いのことば」が述べられ、更に本件式次第及び本件台本に沿って「学校長のことば」「教育委員会のことば」「父母教師会会長(来賓)のことば」「祝電披露」と進行した。続いて「卒業生、在校生のことば」に移り、本件台本記載の台詞が述べられるとともに歌が歌われたが、右台詞の中には本件式次第末尾に記載されている「(卒業生)保護者代表のあいさつ」に相当する保護者の言葉が盛り込まれていた。更に「校歌斉唱」が行われた後、本件台本記載の歌が歌われ、最後に「閉式のことば」が述べられて、本件卒業式は終了した。

本件卒業式終了後、六年生各クラスの担任が卒業生を引率して退場したが、原告は三組の卒業生を保護者席まで引率して保護者に対して一礼し、起き直る際に右手で拳をつくってかかげ(以下「本件挙手」という。)、その状態で式場から退場した(乙四の3)。

三  本件処分に至る経過

前記争いのない事実及び証拠(甲二、一八、三一、乙二の1ないし3、三、一一の10、一四、証人浦塚律子)によれば、以下の各事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

1  被告の調査等

昭和六三年三月一九日の本件卒業式後、同年六月二七日の本件処分までの間、被告は、事実関係の調査のために栁校長、佐藤教頭、武久教務、PTA会長である馬場隆幸、町の世話人である野尻百合子、自治会長である栗原住雄及び原告からそれぞれ事情を聴取した。

また、三組の卒業生保護者である浦塚律子(以下「浦塚」という。)は、昭和六三年度において原告が担任を持たされていないことを聞き、他の卒業生保護者二名と共に、四月一四日午前一〇時、原告やA子への理解を求める趣旨で被告指導課に赴き、応対した被告の首席指導主事岡藤博に対し、三組の担任となってからの原告の活動、総合練習や本件卒業式の様子等について事情を説明した。

2  新聞報道

昭和六三年六月二一日付西日本新聞は、「君が代『歌えない』」「女児“反乱”担任を処分へ」との見出しで、同月二〇日の福岡市議会で高山博光議員によって本件卒業式の様子が取り上げられ、被告の教育長が事実関係について確認済みである旨及び適切な処置で対処していく旨の答弁を行っていること等を報じた。

3  本件処分

被告は、原告に対し、昭和六三年六月二七日、本件処分をなした。

四  各争点について

1  事実誤認について

(一) 本件卒業式の式次第

本件処分理由は、本件着席が「事前に決められた式次第に従って進行中の国歌斉唱時に」行われたとしている。

小学校の卒業式は、教育課程上、学校行事の一つである儀式的行事として位置付けられるところ、儀式的行事の運営事項を決定する権限の所在については、学校教育法二八条三項が「校長は、校務をつかさどり、所属職員を監督する。」と定めるほかに特別の定めは存しない。他方、小学校には校長以下の教職員が構成員となる職員会議が設置されるのが通例であるが、右職員会議の設置及びその権限に関する法令上の根拠は存在せず、儀式的行事の運営を決定する権限は校長にあると解するのが相当である。

職員会議は校長の諮問機関として位置付けられるものであり、職員会議が広く認知され、通常その構成員が学校に所属する教職員全員とされることからすれば、その答申に当たる職員会議の決定が校長において相当程度尊重されるべきではあるが、このことは校務に関する校長の職務権限自体に影響を与えるものではない。

本件卒業式の運営については研修部会において原案が立案され、校務分掌上も右研修部会が卒業式の原案を作成することとなっていたが(前記一3本件卒業式に関する協議の経過(一)及び(二))、校務分掌は原案作成についての具体的な役割分担を示すものにすぎず、校務に関する校長の権限を委譲したものとは認められないから、右校務分掌上の分担をもって儀式的行事の運営に関する校長の権限が否定されると解することもできない。

前記一3(本件卒業式に関する協議の経過)のとおり、本件卒業式に関する事項のうち、式場の配置について校長案が研修部会案に歩み寄る形で修正されたにもかかわらず、結果的に合意に至らなかったという経過が認められる本件においては、結局は合意に至らなかった以上、本件式次第を含む本件卒業式の運営に関する事項は、遅くとも本件卒業式開始前(甲二〇のパンフレット作成には相当の期間を要するので少なくとも数日前)には栁校長によって決定されていたと解するのが相当である。

また、本件卒業式は、右校長によって決定された本件式次第が本件台本に組み込まれる形で、これらに従って進行していたものであり(前記二3君が代斉唱時の様子等)、右卒業式の進行は式次第に従って進行していたと認められる。

したがって、本件処分理由中の右本件卒業式の式次第に関する部分に事実誤認は存しない。

(二) 原告の本件着席

本件処分理由は、原告が「担任の児童の国歌斉唱拒否の発言及び着席に呼応するかのように着席し」たとする。

原告の担任する三組の児童であるA子が佐藤教頭の「国歌斉唱」の声とともに着席したこと、A子の一回目の「歌えません。」との発言後に原告が自席において着席したこと、及び、A子の二回目の「歌えません。」との発言後に原告が立ち上がって卒業生席に向かったことは、前記二3(君が代斉唱時の様子等)のとおりであり、右A子の着席並びに二回の発言は四〇秒足らずの短時間のうちの出来事であること、及び、A子の二回の発言の間には約二五秒程度の間隔しかないこと(検証)からすれば、原告の本件着席は、A子の着席及び一回目の「歌えません。」との発言後の短時間のうちに、客観的にこれらに呼応するかのように行われたものと認められる。

これに対して、原告は、本件着席は、ゲルニカの旗がステージ上に張られなかったことに対する子どもたちの怒りが予想以上のものであったことに驚き、自らそれを受け止めきれていなかったこと等から動揺し、呆然となって腰を下ろしたものである旨主張する。

確かに、原告は、組合員たる教師たちと協議の上、君が代斉唱時に抗議して着席するなどの実力行使をしないとの合意をなしているほか(前記一4本件卒業式の総合練習、式場設営及びその後の職員会議の内容(三))、組合の執行委員らからも、卒業式において君が代や日の丸についての抗議行動や実力行使は行わないように要請されており(前記二1組合執行委員らと原告の面談)、本件着席が当初より原告によって計画されていたものとは認められない。

しかしながら、本件卒業式における原告は、A子の二回目の「歌えません。」の発言の後、動揺した卒業生らの席へ行って落ち着くよう指示したほか、A子の決意表明時の混乱の際にも「子どもの発言は最後までお願いします。」「静かにお願いします。」と述べるなど、終始冷静な対応をしていること(前記二3君が代斉唱時の様子等、同4A子の決意表明等)、原告自身児童を指導する立場でゲルニカの旗の制作に深くかかわるとともに、「製作ニュース」や総合練習の様子から、卒業式当日にゲルニカの旗をステージに掲げてもらいたいとの児童らの希望を認識していたこと(前記一2(四)ゲルニカの旗の制作、同4本件卒業式の総合練習、式場設営及びその後の職員会議の内容(一))、及び、本件卒業式の運営に関しては、一〇回に及ぶ職員会議において、再三にわたりゲルニカの旗の掲示場所について議論が繰り返されており、佐藤教頭からもゲルニカの旗を卒業生席背面上部の窓付近に移動する趣旨で相談されるなど、原告は卒業式当日にゲルニカの旗がステージ上に掲げられない事態も予想していたこと(前記一3本件卒業式に関する協議の経過)に加えて、原告が前任の筥松小学校の卒業式において児童の制作したちぎり絵が卒業式のステージに掲示されず、君が代を無理やり歌わされることに抗議ないし抵抗する趣旨で、卒業式の君が代斉唱時に着席していること(前記一1長尾小学校に赴任するまでの原告の経歴等)を併せ考慮すれば、本件着席が呆然として腰を下ろしたものであるとの原告の主張を採用することはできず、右着席は原告の意思に基づいて行われたと認めることができる。

以上のとおり、本件処分理由中の本件着席に関する部分に事実誤認は存しない。

(三) 原告の本件挙手

本件処分理由は、原告が「卒業式が正常な進行とはいえないなか、退場の際右手こぶしを振り上げる……行為を行った」とする。

本件卒業式において、君が代斉唱時にA子が二度にわたって「歌えません。」と叫び、多数の卒業生が着席したこと、A子の卒業証書受領後の決意表明の際、来賓や保護者からの発言が飛び交うなどの混乱があったことは前記二3(君が代斉唱時の様子等)及び同4(A子の決意表明等)のとおりであり、「正常な進行とはいえない」との表現は、粛々と進行する一般的な卒業式との対比において、右のような経過を含む本件卒業式の進行を略言したにすぎないのであって、その用語法の故に事実を誤認したと評価すべきものではない。

本件卒業式終了後、原告が三組の卒業生を引率して退場する際、右手でこぶしをつくってかかげ、その状態で式場から退場したことは、前記二5(その後の進行及び原告の退場の際の様子)のとおりである。

原告は、本件挙手は子どもたちに向かって中学生になっても頑張りなさいというつもりで手を上げたものである旨主張する。

しかしながら、本件挙手が本件卒業式の卒業生退場時に行われたものであること(前記二5その後の進行及び原告の退場の際の様子)、その態様も生徒を引率しながらうつむき加減に右手こぶしをかかげるというもので(乙四の3)、むしろ卒業生らに向けられたものとは捉えにくいものであったこと、及び、本件卒業式においては、A子の君が代斉唱拒否の発言、君が代斉唱時の多数の卒業生の着席、A子の意見表明時における来賓と保護者の大声でのやり取りという混乱があったこと(前記二本件卒業式当日の状況3及び4)を考慮すれば、本件挙手は来賓や保護者に対する抗議ないしは勝利の意思表示と評価すべきものと認められる。

以上のとおり、本件処分理由中の本件挙手に関する部分に事実誤認は存しない。

(四) A子の発言

原告は、本件処分理由中の「児童の不適切な発言等もあり」とある部分について、子どもの意見表明権の観点から、A子の発言は当然の意見表明であり、本件処分はA子の発言に対する評価を誤ったものである旨主張する。

しかしながら、本件処分は原告に対するものであってA子に対するものではなく、右「児童の不適切な発言等もあり」の部分は本件卒業式が「正常な進行とはいえな」かったことの例として、「卒業証書授与の際の」A子の発言を挙げたものと認められるが、これが原告の行為の内容をなすものでないことは明らかである。

本件卒業式における卒業証書授与の際の決意表明は、六年間の小学校生活の思い出を踏まえ、中学校生活をはじめとする将来に向けて期するところを保護者及び来賓等に対して表明し、各卒業生に自らの決意を新たにしてもらう趣旨で設けられたものと思われ、前記二4で認定したA子の発言は右趣旨に沿うものではなく、小学校生活の締めくくりとしての卒業式の場に相応しいものではないという意味で、常識的にみて適切なものとはいえない。

また、前記原告の指摘との関係においても、子どもは単なる保護の対象ではなく、意見を表明する権利の主体と認識されるべきであるが、右権利は無制限に意見表明を認めるものではなく、時、場所、内容、方法等の具体的態様によって当該意見表明行為としての表現行為に内在する制約が存在することを考慮すれば、意見表明行為が社会通念上否定的に評価される場合があることは当然である。右を前提としてA子の発言をみれば、ゲルニカの旗を卒業式場の正面ステージに張ってもらいたいとの希望が叶えられなかった心情は理解できるところではあるが、右A子の発言が卒業証書授与の際の決意表明におけるものであることを考慮すれば、これが適切なものであると評価することはできない。本件処分理由は、右を端的に「不適切」と表現したものと認められ、右表現が誤りであるとはいえない。

もっとも、例示とはいえ、被告が処分理由中に児童の発言を摘示したことは、教育的立場からの児童への配慮を欠いた憾みがあるし、A子の発言のみならず来賓等の野次も卒業式混乱の一因となっていたことを考えると、本件処分理由中の表現は舌足らずなものであるというべきであるが、そのことの故に前記のとおり原告に対するものであることが明らかな本件処分が事実を誤認した違法なものと評価されることにはならない。

(五) 原告の各行為の懲戒事由該当性

右のとおり、本件処分に重大な事実誤認は存在せず、本件着席及び挙手という原告の各行為は、教育公務員としての職の信用を傷つけたと認められるから、地公法三三条の信用失墜行為に該当する。

2  本件処分が公正さを欠く違法なものか否か

原告は本件処分が偏った事実調査及び政治的圧力の下になされたものであり、地公法二七条一項に違反する旨主張する。

しかしながら、地公法二九条二項、地方教育行政の組織及び運営に関する法律四三条三項(市町村立学校職員給与負担法一条及び二条)、福岡市町村立学校職員の懲戒に関する手続及び効果に関する条例、同条例を受けた福岡県職員の懲戒の手続及び効果に関する条例、その他の関係法令並びに条例中、教育委員会による懲戒処分の前提たる事実調査の方法自体に制約を加える規定が存しないことに照らせば、被告が自ら適当と考える方法で事実関係を調査した上、その懲戒権を行使して懲戒処分がなされる限り、当該処分が手続的に瑕疵を帯びるものではないと解される。

もっとも、事実調査に関わらず重大な事実誤認が存在し、当該処分が事実上の根拠に基づかないものと認められる場合や、懲戒権の行使が社会観念上著しく妥当を欠き、懲戒権の濫用にわたると認められる場合に当該処分が違法となるものであることは別論である。

したがって、原告主張にかかる地公法二七条一項違反のうち、偏った事実調査に関する部分は、右調査によって重大な事実誤認を来したか否かの問題であり、他方、政治的圧力に関する部分は、右圧力の結果懲戒権を濫用して当該処分をなすに至ったか否かの問題と捉えるべきである。

右のうち前者の問題(重大な事実誤認)については既に右1で示したとおりであり、本件処分に重大な事実誤認は存しないというべきである。

後者の問題(懲戒権の濫用)について判断するに、懲戒権の濫用の有無は、懲戒事由該当行為の原因、動機、性質、態様、結果、影響等のほか、右の行為前後における態度、懲戒処分等の処分歴、選択する処分が他の公務員及び社会に与える影響等諸般の事情を考慮し、懲戒権者の裁量権の行使に基づく処分が社会観念上著しく妥当を欠くか否かという観点から判断すべきであるが、右の各事情中いずれの要素を重視すべきかは各懲戒事由該当行為ごとに異なるものであると解するのが相当である。

前記1で認定したとおり、本件処分理由中に掲げられた事実のほか、本件着席が原告の意思に基づくものであると認められること(前記1(二)原告の本件着席)、本件挙手が来賓や保護者に対する抗議ないしは勝利の意思表示と認められること(前記1(三)原告の本件挙手)を考慮すれば、戒告処分という、懲戒処分としては最も軽い形式による本件処分が、社会観念上著しく妥当を欠くものとはいえず、懲戒権の濫用によるものと判断することはできない。

五  結論

以上のとおり、本件処分は適法であり、原告の請求は理由がない。

(裁判長裁判官草野芳郎 裁判官岡田治 裁判官杜下弘記)

別紙〈省略〉

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